高岡鎮宮一貫記

書名読みたかおかしずめのみやいっかんき
所蔵弘前市立弘前図書館八木橋文庫
著編者斎藤規房(さいとうのりふさ)
写刊年次天保四年(一八三三)三月写
(但し内容の成立年次は文化十四年(一八一七)十一月)
寸法縦二七・七×一九・一糎
丁数七〇丁
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解説

 弘前藩四代藩主津軽信政(つがるのぶまさ)が幕府神道方吉川惟足(よしかわこれたり)と交わした修学上のやり取りを、藩士で神道家の斎藤規房(さいとうのりふさ)・(八郎左衛門(はちろうざえもん)、鉱右衛門(こうえもん)一七六九~一八三九)が天保四年(一八三三)にまとめたものである。吉川惟足(五郎左衛門従時(よりとき) 一六一六~九四)は吉田神道の正統を継承しつつ山崎闇斎(やまざきあんさい)の影響も受け、朱子学を教義に取り入れて吉川神道(理学神道とも)を創始し、武家社会に広く受け入れられた。この背景には三代将軍徳川家光の異母弟で四代将軍家綱の補佐を務めた保科正之(ほしなまさゆき)(初代会津若松藩主 一六一一~七二)が吉川神道を重んじた影響が大きい。