南部津軽松前濱通絵図

書目読みなんぶつがるまつまえはまどおりえず
所蔵青森県立郷土館蔵
著編者米沢藩岩瀬家(岩瀬三左衛門政辰)
写刊年次文化五年(一八〇八)
寸法縦一三二・〇×横一二三・〇糎
備考紙本着色
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解説

 本絵図は、文化五年(一八〇八)に米沢藩絵図方である岩瀬家(岩瀬三左衛門政辰)によって描かれた絵図の副本、または写しである。描かれた範囲は、箱館周辺とそこから松前に至る海岸沿い、ならびに松前城下、津軽海峡を挟んで津軽領の津軽半島の龍飛(たっぴ)、三厩(みんまや)、今別、青森、そして野辺地(のへじ)に至る地域である。描かれている内容は、村名と家数、河川名とその特徴、沿岸部の岩礁等の地形と名称、橋・街道、青森・三厩と松前・箱館間の航路とその距離・出航湊、津軽海峡中央の流れの強い潮流などの詳細な情報であり、当時の蝦夷地警備御用のための情報をまとめたものと考えられる。
  岩瀬家は米沢藩の絵図方の家である。もとは陸奥国岩瀬郡須賀川の武士で、初代の藤左衛門正清が天正七年(一五七九)に伊達家に、後代には米沢藩に仕えたとされる。その後小右衛門政秀が承応二年(一六五三)に召し抱えられたのち、藩命により二度にわたって西国・中国・北国(西日本や北陸)の調査を実施し、そのころに絵図方に任命されている。岩瀬家はその後代々絵図方を勤めるとともに、藩命による各地の調査・情報収集、幕府との交渉役を担うなど、政治的にも重要な役割を果たしたとされる。