武教全書

書名読みぶきょうぜんしょ
所蔵高岡の森弘前藩歴史館
著編者山鹿素行著・貴田元辰写
写刊年次明暦二年(一六五六)著・延宝五年(一六七七)写
寸法縦二四.八×横一七.八糎
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解説

 『武教全書』は、兵学者・儒学者の山鹿素行(やまがそこう)が明暦二年に著した山鹿流兵学の兵法伝授書である。歴史館所蔵の『武教全書』は、素行から直接教えを受けた門人であり、後に子孫が弘前藩士に召し抱えられた貴田元辰(きだもとたつ)が延宝五年に筆写したものである。なお、本書には、元辰が筆写した翌年に素行が跋文(ばつぶん)を記している。
  本書の内容は、教授項目を箇条書きにしたもので、詳細は口伝により伝授された。『武教全書』本編と、初学者の心得を記した『武教小学』をあわせた構成となっている。山鹿流兵学では、『武教全書』に付帯して、『武教小学』が講じられたため、伝授の実際に則した形といえる。
 著者の山鹿素行(一六二二~八五)は、名は高祐(または高興)、字は子敬、通称は甚五左衛門、号は素行と称した。素行は儒学・兵学・歌学・神道などを修め、寛永十九年(一六四二)に甲州流兵学者の小幡景憲(おばたかげのり)から印可状を与えられた。承応元年(一六五二)に赤穂藩に召し抱えられたが、数か月で江戸に帰った。寛文五年(一六六五)、朱子学を批判した『聖教要録』を刊行したことが幕府に咎(とが)められ、赤穂に配流された。延宝三年(一六七五)に赦免(しゃめん)されて江戸に帰り、晩年は「積徳堂」と名付けた住まいで過ごした。素行の思想の特徴は、武士は内面的精神の規律化が外面的威儀となってあらわれることを目指して、武芸をたしなみ、学問もするよう求めるものだった。

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