暗門山水観  原三冊

書名読みあんもんさんすいかん
所蔵青森県立郷土館
筆者山形岳泉(やまがた がくせん)
成立年明治四十一年(一九〇八)
寸法縦三〇×横二〇・一糎
図絵五二図
備考題簽に「暗門山水観」、その下に各冊「壱」「弐」「参」と墨書されている。
各冊の奥付に「明治戊申季秋 山形岳泉」とある。
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解説

 山形岳泉(以下、「岳泉」と記す。)は『青森県人名事典』によれば、生年は嘉永五年(一八五二)、没年は大正十二年(一九二三)。名は太郎九郎。山形家は弘前藩の武家であったが、廃藩後は貸金業を営んでいたという。弘前の絵師・国学者として著名であった平尾魯仙(生没年一八〇八~一八八〇。)に岳泉は若くから師事し絵を学んだ。魯仙没後は、師が描いた膨大な作品群を忠実に模写し後世に伝えた。「暗門山水観」も岳泉筆による魯仙の粉本模写である。
 「暗門山水観」は奥付に明治四十一年とあり、何を何時ごろ模写したのかは不明であるが、「暗門山水観」と「安門瀑布図」の各絵図は色遣い、書き込みなどに若干の違いがあるものの同じ絵であるという。
 絵図は基本的に暗門の滝までの行程順に綴じられている。旅の目的であった暗門の滝とその周辺の絵図は力強く鋭い筆致で描かれている。宿でくつろいだ様子やその地(西目屋村川原平。現在はダム湖となっている。)の村人の暮らしぶりを「川原岱村古風之図」と記した絵に描いており、この絵から読みとれる江戸時代末の山村習俗は民俗研究のうえで貴重であることは、青森県の民俗学の先導者故森山泰太郎がすでに指摘しているところである。紀行には暗門の滝から戻り「川原平村に着いたのは日も暮れた午後六時すぎごろと思われる。夜、宿の主人がイワナ、ヤマメのすし、フキ、筍の漬物などを取り揃え酒宴を催してくれた。皆で酒を酌み交わしほろ酔いで眠った」と記している。