信政公葬送図絵巻

書名読みのぶまさこうそうそうずえまき
所蔵高照神社所蔵・高岡の森弘前藩歴史館寄託
著編者今井玉慶
写刊年次天保四年(一八三三)
寸法縦二七・二×横一〇五二・〇糎
備考弘前市指定有形文化財(絵画)
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解説

 「信政公葬送図絵巻」は、弘前藩四代藩主津軽(つがる)信政(のぶまさ一六四六~一七一〇)が宝永七年に死去し、高岡(現弘前市高岡)に葬送された様子が描かれた絵巻で、信政を祭神とする高照(たかてる)神社に伝来した。
 弘前藩の「中興の英主」とされる信政は、吉川神道に学び「高照霊社」の霊社号を受けている。生前に春日四神を祀る小社があったとされる高岡を廟所とするよう遺言し、宝永七年(一七一〇)十月十八日に弘前城で没した。十二月四日の夜半、北川正種(まさたね)を導師とし吉川神道の法式により弘前城三の丸を出発し早朝に仮殿に到着し、正午に埋葬された。翌正徳元年より五代藩主信寿(のぶひさ)が高照霊社建立にとりかかり、同二年には完成したとされる。
 描いたのは今井玉慶(ぎょくけい-一八三四)。賀田(よした)村(現弘前市賀田)に生まれ、弘前藩の御用絵師今村惟慶(これよし)養淳(ようじゅん)に弟子入りし狩野派の技法を学んだとされる。賀田の玉慶と親しまれ、鷹の絵を得意とし、岩木山麓の社寺に絵馬などが多く残っている。玉慶は天保五年に亡くなっており、この絵巻は最晩年の作である。信政葬送の様子を約一二〇年後に描いたものではあるが、絵画資料としては本作しか知られておらず大変貴重である。

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