絵本通俗三国志

書名読みえほんつうぞくさんごくし
所蔵弘前市立博物館
著編者編 池田東籬 
画 葛飾戴斗 
写刊年次天保七年(一八三六)~十二年(一八四一)刊
寸法縦約二二・三×横約一五・四糎
丁数四六~二〇丁
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解説

 『通俗三国志』(元禄二~五年(一六八九~一六九二))五〇巻は、明代に成立した中国四大奇書の一つ『三国志演義』を、湖南文山(こなんぶんざん)が訳したものである。文山の詳細は不明だが、京都五山の一角である天龍寺の僧・義轍(ぎてつ)と月堂(げつどう)兄弟のことであると言われる。当初兄の義轍が着手したものを、その没後に月堂が引き継いで完成させたとされている。これを池田東籬(いけだとうり)が校正し、葛飾戴斗(かつしかたいと)が四〇〇点以上の挿絵を付して絵本の体裁をとったものが『絵本通俗三国志』である。天保七年(一八三六)から刊行が始まり、天保十二年(一八四一)に八編が刊行されて完結した。校正と挿絵の挿入の結果、八編七五巻の大長編となった。『三国志』を題材とした絵入り本の中で最も人気を博したとされる。
 池田東籬は読み本作家として知られた人物である。天明八年(一七八八)京都に生まれ、御所勤めをしていた傍らで読本や名所案内、実用書の執筆をしていた。挿絵を描いた「葛飾戴斗」は長年葛飾北斎だと思われていた。北斎は生涯で八十回以上号を改めており、戴斗もその一つである。しかし現在、実際に挿絵を担当していた「葛飾戴斗」は葛飾北斎の高弟にあたる二世葛飾戴斗であろうとされている。二世戴斗は本名を近藤文雄といい、元は豊岡藩士で、江戸の上野山下に住んでいたとされる。絵が北斎と非常によく似ており、また江戸在住であったものの、彼の携わった刻本(こくほん)は大阪のものが多いことから「大阪北斎」「犬北斎」などと呼ばれていたとされる。絵師が長く誤解されていたのは、北斎の画風を戴斗がよく習得していたためである。

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