一粒金丹治症/一粒金丹試功

書名読みいちりゅうきんたんちしょう/いちりゅうきんたんしこう
所蔵弘前市立弘前図書館八木橋文庫
著編者不詳
写刊年次天明八年(一七七八)推定・寛政十一年(一七九九)
寸法一粒金丹治症 縦二〇・七×横二七・〇糎
一粒金丹試功 縦二七・五×横四〇・二糎
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解説

 弘前藩が製造し、江戸時代を通じて巷間に知られた秘薬として「一粒金丹」がある。鎮静剤や強壮剤として用いられ、下痢や脳卒中の後遺症などにも効能があるとされた。
 その製造は、四代藩主・津軽信政の懇願により、岡山藩の支藩として一万五千石を領し、後に幕府の奏者番を務めた池田丹波守輝録から、その藩医・木村道石を通して、元禄二年(一六八九)に弘前藩医・和田玄良へ製法が伝えられたことに始まる。以後、弘前藩では、和田家をはじめ、国元と江戸常府の限られた藩医(「弘前藩庁日記(御国)(以下「国日記」)」文化十三年(一八一六)二月十八日条では一粒金丹の伝法は国元四人・江戸三人の七人に限ることを決定)にのみ製造方法を伝授する方法で、製造法の伝承を管理した。一例として、松木明・松木明知『津軽の医史』に掲載された嘉永三年(一八五〇)の渋江抽斎から中丸昌庵への製造方法伝授においては、藩の用人兼松久通から製造方法の伝授について許可する旨の書状が出されるなど、藩が主体的に伝承体制を維持管理すると共に、伝承体制の整備が品質の確保につながるという認識を持っていたと考えられる。
 一粒金丹は、阿芙蓉すなわち阿片を主成分とし、他に膃肭臍(オットセイの陰茎)・麝香・辰砂・龍脳・原蚕蛾・射干などを薬種として製造されるが、阿芙蓉は、弘前藩の特産品として有名であったとされ、オットセイは松前・南部と共に津軽が主要な捕獲地とされていた。「国日記」では、藩領内で芥子の栽培が実施され、阿芙蓉の採取が行われていたことが確認でき、また、膃肭臍については領内アイヌからのオットセイの献上について散見される。これらの記録から、阿芙蓉と膃肭臍を他地域より比較的容易に入手できたことが、弘前藩の一粒金丹製造を大きく前進させ、全国的なブランドに押し上げた要因だったと考えられる。