江戸・大坂表勤学之覚

書名読みえど・おおさかおもてきんがくのおぼえ
所蔵弘前市立弘前図書館伊東家文書
著編者伊東広之進祐之(梅軒)
写刊年次弘化四年(一八四七)か
法量縦一二・三糎×三四・七糎
丁数二丁
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解説

この資料は弘前藩の儒学者(じゅがくしゃ)伊東梅軒(いとうばいけん)(広之進、祐之(すけゆき) 一八一五~七七)が、藩の許可を得て、江戸から大坂、さらに西日本の各地を遊歴した時の記録である。
 「江戸・大坂表勤学之覚」は天保十四年(一八四三)七月勤学登りのため江戸に赴き、江戸で学んだ後、弘化元年(一八四四)大坂に赴き、その後は西国で学び、弘化四年(一八四七)十二月に弘前へ帰国するまでの概要を記している。藩に提出した報告書の自筆の控えであると思われる。この資料からは梅軒が学んだ師や、懇意にした人物の名前が判明する。江戸の昌谷碩(さかやせき)(精渓(せいけい)一七九二~一八五八)・佐藤一斎(一七七二~一八五九)・朝川善庵(あさかわぜんあん)(一七八一~一八四九)・東条一堂(一七七八~一八五七)・大坂の篠崎小竹(しのざきしょうちく)(一七八一~一八五一)・安藤太郎(秋里)(生没年不詳)・僧の月性(げっしょう)(一八一七~五八)、伊予(現愛媛県)の近藤慶太郎(生没年不詳)、豊後日田(現大分県日田)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)(一七八二~一八五六)など錚々たる儒学者たちであった。惜しいことに豊後日出(現大分県日出)の帆足万里(ほあしばんり)(一七七八~一八五二)には逢うことが出来なかった。